昭和五十七年五月二十六日 朝の御理解


御理解第九十二節

「神は一体ぢゃによって此方の広前へ参ったからと云うて別に違う所はない、彼所ではおかげを受けたいけれど此所ではおかげが受けられぬと云うのは、守々の力に依って神のヒレイが違うのぞ、神の守をして居れば諸事に身を慎み朝寝をしてはならぬ、早く起きると遅く起きるとは氏子の参詣の早い遅いにかかわるぞ」


 今日は久留米の初代、石橋松次郎先生の四十年の式年祭が行われます。
 此処からも五十名、参拝の申し込みをしておるそうですが、確かに守々の力と仰せられますが、教祖百年祭が来年ですから丁度五十年前、正確に云うと四十九年前、久留米から千人参りの団参がございました。
 丁度私は、久留米の荘島にありました判光屋と云うお酒屋さんの番頭に七年間働いていましたから、久留米から団参の参加のおかげを頂きました。
 やっぱり昔の奉行人と云うのは、今とは全然違いますし、そんな我自由な事は出来ません。
 四十九年前の櫛原は朝参りをすると、今の合楽の朝の御祈念と同じでした。朝の御祈念がお広前いっぱいでした。
 私は荘島から櫛原まで毎朝、訳はわからんなりに参拝をしておりましたが、近所の八百屋の息子さんとか、鍛冶屋の弟子さんとか、どこどこの番頭など、多い時は十人位は私が誘ってお参りさせて頂いた。
 そういうような働きがあっておったと云う事はね、やはり久留米の初代のお徳だと思いますね。
 何もわからん私達が、朝参りでもしよう、と云ったような気になる、そういう千人参りの願いが立てられて、私も是非おかげ頂きたい、と思うけれども、あの時分は一晩泊まりでしたからね、お店に二日間と云う暇を頂かなきやなりませんので、中々云いにくかった。 私はそん時の事を思い出すんですけれども、石橋先生にその事をお願いさして頂いたら、お願いしときます、とはおっしゃらなかたったように思うんです、はっきりは覚えんけれどね。
 どうぞ一つ千人参りのおかげを頂きたいから、と云うてお届けをさして頂いたら、お参りが出来るようにお願いをなさい、とおっしゃったように思うのです。
 いわゆる五十年前の事ですからね、私もはっきりは覚えませんけど確かにそうでした。
 只、お願いしてあげましょう、と云ったようなふうには、おっしゃらなかった事だけは記憶しております。
 自分で願いなさい、とこう云う。その事をお取り付き下さった訳ですね。
 この辺の所を私、はい、お願いしてあげますよ、と云うのぢゃなくてね、あなたの信心を育てなさい、その事を神様にお願いします、と云う意味ぢゃなかったか、と思うんです。
 お願いなさい、とこう云う。自分でも不思議な働きがおこるもんだな、と思ったのは、お店の一番のお得意さんの前田さんと云う、そこの70才のお爺さんが御夫婦で金光様の信心なされます。
 そいで、お爺さんが、連れがないと云うような話の中に、私もお参りしたいと思うけれども、と云うて話したら、そりゃ、どうでもこうでもあなたがお参りして下さい、家のお爺さんも安心して参らせるから、と云ったような事でした。
 で、その前田さんが判光屋の主人にですね、こんな訳で御本部参拝があるから、あなた方の番頭さんも参りたいような事を聞きましたから是非参らせてくれ、と云うて頼んでやんなさった。
 だから、その上得意さんの頼みだもんだから主人も嫌と云われません訳で、ま、お参りが出けた。
 この人なかなか熱心で、毎朝櫛原にお参りしよります、と云ったような話でございました。
 今考えてみると、願った事がそういう働きになって現れておる事を思いますね。
 お徳と云うものは、結局、守々の徳の力だと思いますよね。
 皆さんも、御参拝になられる方が多いと思いますけれども、そういうお徳と云うものが、あの世にも持っていけ、この世にも残しておける、とおっしゃる。その残しておける、お祭りを拝むようなもんです。
 おそらく合楽からでも五十名参る、沢山な出社がありますから、おそらく、あの時間に参ったんでは、お広前に上がられんようにあるだろう、と思います。
 だから、此処から一時間早目にお参りするつもりです。
 石橋先生の御信心のお徳と云うが、そりゃまあ風貌と云い、寛大なお心の方でしたが、それこそ大空を眺めるような感じの方でしたね。どうして、そういうようなお徳を受けられたか、と云うと結局四神様が仰せられた、と云う。まあだ四神様御在世の頃ですからね。 丁度四神様が御結界奉仕をなさってる時に御神習を石橋先生がなさっておられたが、此処に四神様が座っておられるなら、その辺に座って、四神様のお取次の模様をずっと拝ませて頂く訳なんですね。 そしたら、そのお参りが途切れた時に、あの石橋さん、石橋さん、と云うてお呼びになったから、お出られますと、なあ、石橋さん、信心辛抱さえしておけば、物事整わぬ事はない。とおっしゃった、と云う事でございます。
 だからそれが石橋先生の信心の芯と云われ、又、久留米教会の芯とも云われております。信心辛抱です。
 信心辛抱だけではない、信心辛抱の徳にならなければダメですね。 信心辛抱の徳と云うのは、例えば、朝参りをするのにね、昨日の御理解の中に秋山さんのお話しをしましたけれども、長年、椛目合楽を通して総代をしておられたけれども、朝参りが出来るとかお参りが楽しいとか、有難い、と云う事は分からなかったけれどね、丁度、去年の夏の夏期修行の朝参りからだったでしょうか、御夫婦でお参りになります。
 あちらの一昨日の宅祭りの時に秋山さんがおっしゃっておられるように、此頃は夫婦で朝参りをさせて頂くのが、もう楽しいです、有難いです、と云われます。
 そこには信心辛抱はない訳でしょうね。
 信心辛抱と云うのは眠いけれども辛抱せなん、今日は参りたくないばってん、そこをおしていかなならん、その間が信心辛抱です。 ですから信心辛抱の徳を受ける、と云う事は、もうその事が有難くなる、と云う事です。
 これはお参りだけの事ぢゃないです、もう本当に歯を食いしばって辛抱しました、と云ったような事がない、その事、事態が有難くなる、と云う事が私は辛抱の徳だと思います。
 お互いが、これは何事に拘らずですけれども、お互い信心辛抱は何事でも、これはつきものですけれども、その辛抱が、もう辛抱せんですむ心の状態、私は信心辛抱の徳を身につけさせて頂く為の信心辛抱でなからなきゃならん、と思うです。
 おそらく、これはまあだ石橋先生から聞いた訳でもないですけれども私、信心辛抱の徳を受けられて、もう辛抱する事がない程の世界に住んでおられた、と私は思いますね。
 思うてみると丁度、五十年前に久留米の石橋先生のお取次を頂いて、朝参りをさして頂いて、本当にお広前いっぱいのお参りがあの時分にあっておりましたが、今石橋先生のような御信心のお徳を受けたら、久留米に五十の出社があるならばね、大変な御比礼、金光教の比礼になっておった事でしょうが、久留米の初代のような時代の御比礼を頂いておる教会は一軒もない、と云うていいでしょうね。 ようやく、合楽は直接の出社ではありません、ま、いうなら此処は孫教会ですが。
 あの時分の五十年の時の千人参りの久留米の御比礼を思う時に、来年合楽から千人参りの団参が出来ると云うような事は、、石橋先生も自分の所の関係から、そういう御比礼を受けていく教会が育っていっておる事を、本当にお喜び下さるだろうと思います。
 今日は、私は霊様にその事を第一に御礼を申し上げたい、と云うような気持ちでお参りしたいと思います。
 皆さんもどうぞ御参拝の出来る方は、十一時のお祭りですから、十時にはあちらに着くように参ります。
 もし、お参りが出来ない方は、お初穂、又は、玉串料を預けられたらどうでしょうかね。
                        「どうぞ」